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また、急速に発展していく大正期の宝怩ノついて、摂津地方の有馬を中心とした温泉地を記した『摂北温泉誌』(大正4年発行)に当時の様子が記されています。
両岸を結んだ初めての橋、宝来橋は2本の橋脚となっており、迎宝橋もすでにかかっていました。大正3年には旅館の数が約30軒、料理を専業とするものも数軒あり、検番、芸妓置屋もあって「脂粉匂ふ美人5、60人」もいるようになります。そして米穀商・雑貨商・洋酒商・八百屋・菓子屋・小間物商なども増えて、文字どおりの温泉街となっていきました。
武庫川両岸の業者によって、「相互の意志の疎通を計り、協力ー致将来の改善発展を企画する」目的で、宿屋料理屋飲食店同業組合が組織されたのが、大正2年1月でした。
温泉浴場は、大正6年から株式会社宝怏キ泉の経営となり、このころには武庫川左岸にも、新温泉・パラダイス・宝恟ュ女歌劇をとりまく新構想の街が創られ、成長する時期でした。そして向かい合う武庫川の両岸は共栄を願いながらも、新・旧温泉で発展への競争をはじめるということになりました。
しかしその後両岸の資本の提携があり、地元の実業家平塚嘉右衛門と阪急電鉄は共同出資して、50万円の資本金で大正14年8月12日、株式会社宝怎zテルを設立、同15年5月14日宝恣口駅前において営業を開始しました。
こうした発展を受けて、大正4年11月には行政区画として宝恍ャが誕生し、良元村の庁舎の位置も村の北部の発展に合わせ、逆瀬川に移りました。この庁舎は、宝恷s制施行後も市庁舎として使われ、昭和55年現庁舎が東洋町に建てられたのに伴い、取り壊されました。
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| ▲新温泉場大理石浴室 |
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| ▲新温泉大浴室 |
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| ▲旧温泉全景(大正6年) |
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