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| ▲宝塚温泉風景画 |
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宝怩ノは、いつから温泉があったのでしょうか?
歴史を紐解けば、鎌倉時代の歌人藤原光経が貞応2年(1223年)に宝怩ノあった小林の湯を訪れ、「旅人の行き来の契り結ぶとも忘るな我を我も忘れじ」と詠んだように、鎌倉時代の初期からその存在が京の都に知られていたようです。
下って室町時代になると、現在の市立宝怏キ泉から東北約500メートルの地にある塩尾寺というお寺の由来記(『塩尾寺縁起』に次のような言い伝えがあります。
室町幕府第十二代の将軍足利義晴の時代(1521〜46年)、このあたりに住む貧しい一人の老女が悪瘡をわずらい、身心ともに苦しみながらも月々に中山寺に参り、懸命に信心したところ、ある夜僧侶が夢の中に出て来て「武庫川にある大柳の下(現在の市立宝怏キ泉近く)に湧いている霊泉に湯浴みをすれば、病は癒える」と告げて消え去りました。教えられたとおり霊泉を湯にして身を洗っていたところ、日ならずして病は癒えました。この老女の願により、大柳で「柳の観音」「塩出観音」とよばれる観音像が刻まれ、お寺が建立されてのちの塩尾寺となりました。 |
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| 宝塚市 編集・発行「宝塚温泉物語」より |
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