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宝塚温泉物語 第1章 宝塚温泉 その昔
第1章 宝塚温泉 その昔
第2章 宝塚温泉 その誕生
近代宝塚温泉の発見と黎明期1
近代宝塚温泉の発見と黎明期2
「新」温泉と「旧」温泉
第3章 少女歌劇と宝塚新温泉
少女歌劇の始まり
「すみれの花の咲く頃」
第4章 温泉と周辺の開発
温泉と暮らし
宝塚の発展と観光
第5章 新時代の宝塚温泉
宝塚と戦争
戦後の宝塚
宝塚温泉と文学
宝塚温泉関係年表
宝塚は、いつから広く知られるようになったのでしょうか。そしていつから「湯のまち宝塚」といわれるようになったのでしょうか。
一種のあこがれとともに、「宝塚」の名は、日本国内だけでなく、海外にも広く知れ渡っています。この理由は、世界に冠たる宝塚歌劇のおかげであるといっても過言ではありません。このほかにも清荒神や中山寺、そして市立手塚治虫記念館など著名な観光名所が数多くあるからです。では、宝塚は、いつから広く知られるようになったのでしょうか。そしていつから「湯のまち宝塚」といわれるようになったのでしょうか。さっそくタイムスリップしてみましょう。
明治までの宝塚の温泉
写真
▲宝塚温泉風景画
 宝怩ノは、いつから温泉があったのでしょうか?
歴史を紐解けば、鎌倉時代の歌人藤原光経が貞応2年(1223年)に宝怩ノあった小林の湯を訪れ、「旅人の行き来の契り結ぶとも忘るな我を我も忘れじ」と詠んだように、鎌倉時代の初期からその存在が京の都に知られていたようです。
 下って室町時代になると、現在の市立宝怏キ泉から東北約500メートルの地にある塩尾寺というお寺の由来記(『塩尾寺縁起』に次のような言い伝えがあります。
 室町幕府第十二代の将軍足利義晴の時代(1521〜46年)、このあたりに住む貧しい一人の老女が悪瘡をわずらい、身心ともに苦しみながらも月々に中山寺に参り、懸命に信心したところ、ある夜僧侶が夢の中に出て来て「武庫川にある大柳の下(現在の市立宝怏キ泉近く)に湧いている霊泉に湯浴みをすれば、病は癒える」と告げて消え去りました。教えられたとおり霊泉を湯にして身を洗っていたところ、日ならずして病は癒えました。この老女の願により、大柳で「柳の観音」「塩出観音」とよばれる観音像が刻まれ、お寺が建立されてのちの塩尾寺となりました。
宝塚市 編集・発行「宝塚温泉物語」より